えりこの日々おもうこと

香川県高松市で子どもたちの居場所づくりや学習サポートをおこなう団体まなびやももを設立し運営しています。学校に行きにくい、行きたくない、不登校中の子どもたちも安心して過ごせる場所を目指して日々活動中です。このブログは自分が思ったことや考えたことの記録として書いています。思ったことをつらつらと。気軽に読んでください。

2019年度ありがとうございました!

 

2019年度を無事に終えることができ、少しだけふっと息ができた気がします。

2年目の居場所は山あり谷ありながらもゆるやかに継続することができました。

 

応援し支えて下さるみなさんのおかげです。

もちろん利用してくれているこどもたちや保護者の方々のおかげです。

 

ありがとうございます!

 

お世話になったみなさんに、直接お会いするのは難しいかもしれないけど、必ずご報告させていただきますね。

 

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私ほんとに一つのことをコツコツ続けていくっていうのが一番苦手で、新卒で入社した会社にずっと勤めている同級生とかめちゃくちゃ尊敬しています。

 

そんな私も、ももだけは細く長く続けていきたいと心底思っているんです。もちろん命に関わる何かがあったりしたらね、その時はその時何ですけど…

 

 

あなたは機関車みたいやね!と言われたことがあるくらい、なんか猪突猛進気味。

 

だから、ついつい毎日フルスロットルでジタバタしてしまうところをどうにか意識して意識して余白を作っていきたいと思います。

 

まなびやももは本当に小さな居場所で私たち夫婦と仕事や育児をしながら活動を支えてくれているスタッフで運営しています。

 

自分や自分の大切な人を守りながら、ももを育てていくことに協力してくれています。

 

 

みんなが無理に無理を重ねるとどこかで限界がきてしまいますよね。

できることをできるときに精一杯。

かっこいいひとたちにはなれないけれど、人として背伸びしない等身大の自分を受け入れながら進んでいきたいと思います。

 

 

今日もこどもたちの笑い声が響き渡っていた教室を掃除し、明日に備えます。

 

 

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2011年3月11日

 

9年前、20歳、まだ大学生のときでした。

 

下宿の部屋に居たら少しだけ揺れて怖っ!!と思ったらすぐに香川の母と祖母から電話がかかってきました。

 

 

近畿地方がどれぐらい揺れたか心配して電話をかけてきてくれたけど、私のところは大丈夫でした。

 

 

いつもはあまりテレビを見ないけど、小さなブラウン管のテレビの前であまりの衝撃に動けなくなったのを覚えています。

 

 

大学は春休みに入っていたので、バイト先に無理を承知で相談し、それから急いで帰省し家族と再会できたことに心から安心しました。

母も祖母も心配性ですが、会えて本当にホッとしました。離れ離れって怖いなと感じました。

 

 

4月になると大学では同級生たちが支援物資を集めて被災地まで届けるプロジェクトを始めたり、募金を始めたり積極的に活動している人が本当に多かった。私はほんとに少しの募金をするのが精一杯でした。

 

 

県外私立大学、一人暮らし、教職に朝夕バイト掛け持ちで全くボランティア活動に参加する余裕がなかったんです。苦学生の私は本当に生きていくのに精一杯でした。だから行動に移せる同級生のみんなを心から尊敬したし、少しだけまぶしくもありました。

 

 

日本中いろんなところに行くのが大好きなのですが、まだ東北地方には行ったことがないんです。もうすぐ30歳になる私は自分の目で東北の被災地で起こったことを見て、自分の頭で考えて、自分の心と向き合いたいと思っています。

 

 

なんせ体力ないので、現地で活動したりするのは難しいかもしれないけれどちゃんと自分の足で歩いてみたい。

 

 

震災で亡くなった方々やそのご家族に思いを寄せ、また自分たちにできる備えをしていきたいと思います。

 

そうだよねぇ。

いろんな人の声を聴く。

 

そうだよねぇと思う。

 

 

今日も居場所と教室を開く。

 

ボードゲームしながらゲラゲラ笑う。

あーおもしろい!お腹いたー!

 

そうだよねぇ。

 

問題解きながらブツブツ呟く。

あー疲れた。もうまぢで無理!!

 

そうだよねぇ。

 

家族からの電話をうんうんと聴く。

無理しよったら体壊すよ。ぼちぼちしまいよ!

 

そうだよねぇ。

 

今週も終わったねぇ。

スタバでも飲んで一息つきたいねぇ。

 

そうだよねぇ。

 

 

書いていないあれやこれやも

 

 

そうだよねぇ。

 

 

私は今日も誰かにそうだよねぇと頷くし

きっと誰かにもそうだよねぇと頷いて欲しいんだろうな。

 

 

一人ひとりのこころの声にうんうんとうなづくには、こころのゆとりが必要だなぁ。

 

 

冷静に物事を知り考えるためにも、ゆとりは必要。

 

 

今、頭の中もこころの中もパンッパンで

危うくだれかを責めたり排除したりすることで自分の中の正しさを保とうとしているのかもしれないなぁ。

 

私は結構、感情的なので不条理なことがあると悔しさから怒りに変わり、家族や友人に話すことで課題が整理されることがよくある。

 

怒りの瞬間に全てを委ねていたら、きっと誰にも届かない、刺さらない、気づかれない言葉になってしまう。

 

ちがう ことばかり気になって

目的を見失うことがないように。

 

見失ってしまっても、また見つけられるように。

 

ただまっすぐに、それぞれができることを、それぞれが精一杯していることにまずは気づけるようになりたいなぁ。

 

 

自分の頭で考えるということ

ついさっき、ヤフーニュースで見た記事に胸が張り裂けそうになった。

 

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6352874

 

まだ詳細がわかり切っていないことへの恐怖や偏見が差別をうみ、こんなことになっている。

日本国内でも、電車の中、隣の席の人が咳をしたことに対してトラブルが起きている。

 

 

身近なところで似たようなトラブルが起こっても不思議じゃないぐらいピリピリした雰囲気が少しずつ増えているのかな、と思う。

 

 

自分を守ることは大事だし、自分だけじゃない家族や大切な人も大事だ。

私の身近な家族の複数はハイリスクな基礎疾患を持っているので、この時期はコロナに関わらずインフルエンザやマイコプラズマ、持病の悪化を防ぐために細心の注意を払っている。3月は特にメンタル面でもフォローが必要だ。

 

 

その家族に何かあったとき、駆けつけたり看病したり身の回りのことができる人は限られている。私はその第一候補だ。私が元気じゃないと近づくこともできなくなる。

 

 

子どももまだいなくて、30歳手前の私はすごく自由でパワフルに思われることもある。

本当は、通院介助や送迎が必要な家族、心のケアやサポートが必要な家族のダブルケアラーだけど。自分もキャパあんまりないけど。

 

 

だからね、全校休校措置が発表されたときはすごく怖くてまなびやももはとりあえず臨時休業した方がいいんじゃないかって考えた。思考停止、してたかも。

軽く、というか、普通にパニック。

 

 

でも、前の記事に書いたように

医学的に見ても、当時(2020/02/28)の香川県の状況で必要以上に怖がることはないと判断した。これは、たかさんの冷静さとリサーチ力によってできたこと。

各種公的機関の発表と報道を見比べて、まずは居場所を継続できる方法を考えた。 

 

 

「できるところまで、やろう。」

 

大人も動揺する。不安になるし、心配もする。落ち着かない。

子どもたちも動揺する。不安になるし、心配もする。落ち着かない。

 

だとすれば、必要以上に怖がることはないこと。ちゃんと予防することが大事だということ。家で楽しく過ごすためにはコツがあること。色んな背景があるから、みんなと一緒じゃなきゃダメなんてことはないこと。

 

を伝えていきたい。

いつも通りのももをあけることで安心して過ごせる場所にしてきたい。

 

 

と夫婦で話し合った。状況が変わればまた相談。家族の調子も観察しながら行動。もちろん自分の状態も。

 

 

わたしたちスタッフはアルコール消毒や換気を徹底して、利用するみなさんには咳エチケットや手洗いなどを守り、出来るだけ安全に安心してももを利用してもらいたい。

 

 

 

私たちにできること。

そんなのは本当に限られているんだけど

一つひとつに対応しながら、できることを探して取り組むこと。

私たち自身が学び成長していくこと。

自分の頭で考えるということ。

間違えることもあるかもしれないけれど思考停止にならないこと。

大多数の意見や周りの雰囲気に傾倒するんじゃなくて、少数派の意見や思いがあることを忘れないこと。

それを伝えていくこと。

 

 

ちゃんと積み上げていきたい。

 

すべての子どもたちが自分らしく学べる社会

にしていくために。

言うは易く行うは難し。

 

 

今日も絶賛支離滅裂かもしれないけれど

吐き出せる場所があってよかったと思う。

ハリケーンとエアーズロック。

木曜日、全校休校が決まり

金曜日、高松市内の休校の詳細が決まり

居場所として、学習教室として

何ができるかをずっとずっと考えてます。

 


木曜日の夜。

私はまるでハリケーンのようにずっとバタバタ。ああでもない、こうでもないとてんやわんや。ずっと喋ってるし、ずっと動いてる。

頭の中もハリケーン。一つじゃない。何個もあるからハリケーンズ

 


一方、ソファに座って各省庁の発表や医療関係者の見解、他国や今までの災害、感染病の対応データを分析するたかさん。一見、冷めてるような他人事のような、モヤモヤしてしまいます。

まったくその場から動きません。まるでエアーズロックのようにぴたりとも動きません。

 

 

 

 


私がねぇどうする!?どうしよう?!どうしたい?!どうするべきなの?!と話しかけても、30秒に一回、「とりあえずお風呂に入って」しか言わないたかさん。

 

 

 

 


指示に従いとりあえずお風呂に入る。

お風呂から出たら分析結果を聞く。

自分たちがどうしたいかもう一度考える。

そしてどうするか決める。

 

 

 

 


いつも通りあけよう。

みんながいつも通り安心して来れるように。

学びや遊びを選べるように。

 


ただし、状況が変われば再度検討。

 

 

 

 

心配して連絡くれたみなさんも本当にありがとうございました。心強かったです!

 

ということで、バタバタしながら毎日を過ごしています。笑顔が一番だね!

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

後日談。

子どもたちに「たかひろ先生、とりあえずお風呂入ってしか言わんのでー」と笑い話にすると「それはえりこ先生を落ち着かせてあげたかったんですよ」と中3男子。おー!そうだったのか。うるさいからとりあえず、その場から離したいだけかと思ってたよ。

たかひろ先生は照れながら汗だくになっていました。真相は彼のみぞ知る。

 

 

手紙

拝見、この手紙〜で始まるアンジェラアキさんの手紙という歌が大好きです。

 

2008年の曲らしく、わたしは当時18歳。

大学一年になる年です。

 

この歌、最初は聴いたり歌ったりしていたのですが、ある時期から最後まで聴けない歌えない?!ようになりました。

 

 

大好きなんだけど、歌の途中で胸がいっぱいになって涙が溢れて最後まで聴けない。仕方なく音を消すことに。

 

 

 

 

私には3歳下の弟がいます。幼い頃から仲が良く、一緒に遊びに行ったり買い物に行ったり。大人になってからもライブや映画、美術館に旅行、いろんなところに行きました。もちろん下の弟も三人まとめて仲良しです。

 

 

そんな彼が中学生の頃、思春期と反抗期、プラスもろもろで荒れに荒れた時期がありました。私たち家族は少々複雑な環境でした。

 

 

なんでこんなに無茶ばっかりするの?

なんでこんなに反抗して問題ばかり起こすの?

なんでこんなに親や家族を困らすの?

 

当時はなかなか気づけなくて、彼も受験勉強を頑張ってはいたけど、家族で向き合って話す機会はあんまりなかったな…

 

話をしようと語りかけてものれんに腕押し状態。今思えば、話し方もまずかったんだろうなとは思います。

でも、全くことばが響かない。

固く閉じた向こう側に弟はいました。

 

 

 

そして、入試当日を終え、残すは合格発表。

前日の夜は心配で心配で眠れず、遅くまで母と話していました。

 

そうだ、カラオケ行こう。

 

と、唐突に母が言い出して深夜のカラオケへ。

母も心配な気持ちでいっぱいだったんだろうな。しかし、唐突…。

 

 

何も考えずにアンジェラアキさんの手紙を選曲して歌い出した私は、Bメロあたりからすでに号泣。

 

 

ああ、弟はこんな気持ちだったんだ。

 

 

と、初めて気づいたのです。

 

http://sp.utamap.com/showkasi.php?surl=A03239

 

 

 

つい2.3年前には同じように受験を経験したはず。反抗期も長かった。素直になれず寂しい気持ちもあった。親と本当の気持ちを腹を割って話すことが難しかった。口げんかはたくさんしたけど、本当に言いたいことはなかなか言えなかった。誰もわかってくれないんじゃないかと思った。だから強くなりたいと思った。でも強くなんてなれなかった。ただ目一杯向き合って欲しかっただけだった。将来のことを考えても、不透明なことばかり。今がしんどすぎて、将来なんて描けない時もあった。何を根拠に未来を選び掴んでいけばいいのかなんて、中三の時には全然わからなかった。

 

 

大学一年になり、一人暮らしを始めていた私はそんな弟に寄り添うことができなかった。一人で寂しい思いをしていたんじゃないかと、心から後悔しました。

 

 

母が大丈夫、大丈夫となだめてくれたけれど、たった一人の姉なのに、こんなに大事な時さえも味方になることができなかったのが本当に悔しかった。

 

 

結局泣きじゃくるもんだから早々にカラオケから帰宅しました。

 

家に帰って弟にごめんと伝えるとポツリとええんやで。と返ってきました。

 

 

その時から心に決めていることがひとつ。

まずは子どもの言葉に耳を傾けて受け入れる。

 

この姿勢を大事にしたいと思いました。

理由は本当に子どもの立場になって考えたり感じたりできるのは、親になるまでの間だけだから。

 

私がいつか親になったとしたら、私の親はこんな気持ちで育ててくれたんだと分かるときが来るのだと思います。親にならないと親の気持ちはわかりません。

 

親の気持ちを代弁したり、伝えてくれる人は私以外にもいる。

 

まだ親になっていない立場で、子どもの心の葛藤や小さなゆらぎに共感できたらいいなと思っています。

 

だから、甘いとかゆるいとか思われるかもしれないけれど、子どもの心の声を第一に聴きたい。「親はこんな気持ちでそう言ったんじゃないかな?」という前に、「そうか、そんな気持ちだったんだね。」と言える人でありたい。

 

 

それから気持ちを整理したり、これからどうしたらいいかを考えたりしたっていいと思うんです。それぐらいのゆとりや余白が必要なんだと思います。

 

 

ももでたくさんのいろんな背景で育つ子どもたちに出会い、一人ひとりは自立した個人であり未完成な子どもであり、計り知れない可能性の持ち主だと感じます。

 

 

 

現代の中高生は手紙を書く機会がなかなかないかもしれないけれど…

 

今の葛藤を、今の悩みを、今の感情をいつか思い出し懐かしいと思える日が必ず来るから。

 

それまでそのままの自分を認めながら生きて行こうと伝えていきたいです。

 

 

ちなみに、手紙は未だに最後まで聴けません。

 

あとこの歌が題材になっている

くちびるに歌を

という本もおススメです。

 

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映画にもなっています。ガッキーが出てます。

クールな役のガッキーもよかったです。

 

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より複雑になる家庭や学校、社会の環境の中で揺れ動く思春期の様子が伝わってきます。

本と映画、少しずつ印象が異なるかなと思うので、よかったらぜひご一緒に。

 

 

反抗期と居場所

待ちに待った立春も過ぎて、早くも2月折り返し。冬は寒いし何かとツンケンしてしまいます。

 

私は反抗期が長かった方で、自分の記憶だと素直だったのは小2ぐらいまでで、小3から中2まで実に6年間ほど反抗期でした。

 

母親と顔を合わすと喧嘩をしていたし

同居の祖父母にもうまく甘えられず

ずっとテレビを見てるテレビっ子でした。

 

雑誌を読むのが好きで、自転車漕いで本屋さんに行っては立ち読みしたりもしたなぁ。

 

門限が厳しかったり、家が田舎で近所に子どもが少なかったりしたためか、放課後に友だちと遊ぶこともあんまりなくて。

そもそも女の子同士でグループ作って遊ぶのも苦手だった…

 

だからテレビが大好きでした。

夏が来たら「ビーチボーイズ」の再放送がめちゃくちゃ楽しみだったなぁ〜

ずっと音楽番組やドラマ、お笑い番組を見たりして過ごしてました。

 

 

そんなずっとツンケンしてる、かわいげのない私にも味方がいてくれました。

それは私の叔母です。

 

親ほど年が離れてるわけでもなく、同級生ほど近くもない。いとこみたいな叔母がいます。

 

母親が仕事で忙しいので、叔母が遊びに連れて行ってくれたり、授業参観に来てくれたりしたこともありました。

 

 

親と喧嘩した時は、冷静に話をしてくれたり、私の言い分も聞いてくれました。だから、喧嘩の後や叱られた後も素直になれたということが数え切れないぐらいあります。

 

 

大人になって、忙しくなりなかなか会えないけれどふとした時や悩んだとき、電話をしてみるといつもあっけらかんと明るい声が返ってきます。

 

ダメなときはダメと言ってくれる叔母。

いつも励ましてくれる叔母。

 

えりこやったら絶対できる!ほんまにそう思う!心配ない。やったらいい!

と背中を押してくれたこともたくさんあります。

 

 

そしてふと気付きました。

私にとって叔母は、居場所なんだな、と。

 

 

辛いとき、悔しいとき、悩むとき、元気がないとき、間違えてしまうとき。

どんな時も、どんな私も受け入れて

あっけらかんとただ側にいてくれる

 

 

もちろん、親や実家も大切な居場所なんだけど

そこだけでは苦しいときもあります。

 

 

叔母という居場所があったから、今までやってこれたんだなぁと思いました。

 

 

まなびやももという居場所をしていて思うのは

居場所っていう場所(ハコ)があるだけじゃなくて、そこにどんな存在(ヒト)がいるかが大切なんだなぁということです。

 

 

私もいつか、だれかにとっての居場所になれるといいなと思いながら今日もまなびやももを開けています。

 

ただ、そこにあるだけのように見えて、きっと大切な役割を持っていると信じています。